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グルテンフリーを開拓する盛り合わせブログ

物を捨てられない家族 | 遺品整理の大変さと生前整理の大切さ

最近テレビを断舎離したいヨネキチです。

ゲーマーの旦那に阻止されているので、いつの日かホログラムみたいに場所をとらないテレビが開発されるのを待ちわびています。

さて、私の祖父母は私とは真逆でお買い物大好き人間でした。

母もどちらかというと物を捨てられないタイプなので、どこで遺伝がねじれてダンシャリアンな私が生まれたのか。

今回は、「物を持つ」ということに関して、ちょっと思うところありで書いてみようと思います。

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目次

買い物好き同士が夫婦にるとこうなる

私の祖父母は、老夫婦2人で2LDKのマンションに住んでいましたが、壁という壁は家具に占領され、4畳半の空き部屋にはクローゼットに加え大きなタンスが4つもありました。

そして、そのどれもが服で埋め尽くされていて、その他にも着物を入れておく茶箱が三つ、溢れ出た服をしまうプラスチックケースが複数。

かばん、帽子、手袋、化粧品、貴金属、切手、写真、何十年も前の手帳、電話帳、置物、サプリ、賞味期限の切れまくった食材、洗剤、粗品、etc etc…

あらゆる空間には物が詰め込まれ、そして使われる前に新しい物が増えていくので、存在すら忘れ去られるということが何十年も続きました。

夫婦揃って同じような性格だと抑制力が働かないから、無駄な物のデブ化が止まりません。

死んだ後、物はどうなるか

7年前じーちゃんが亡くなりました。

89歳の大往生なので、悲しいというよりも、ようがんばったという感じで不思議と全く悲しくはありませんでした。

関東大震災を生き抜き、第2次世界大戦から生還して定年まで働きあげた後、ゆっくりと余生を送っていたじーちゃんです。

お疲れ様でした。

しかし、じーちゃんが死んだ後は家族がお疲れになる番でした。

なんせ、物が死ぬほど多い。

単純にばーちゃんの荷物の半分だとしても、私達家族3人分の3倍分くらいはじーちゃん1人で賄えるくらいの物量です。

いままで大事に記してきた過去30年あまりの手帳類。何十冊というアルバム。撮りためた何百本というビデオテープとカセットテープ。なぜか捨てられずに取って置かれた新聞や広告。何十着というスーツにネクタイにシャツにカバンにピンに帽子に靴にホニャララララララ…

ちなみに、じーちゃんがどれくらいものを捨てられないかというと、大正時代の小銭やビヨーンと伸びるカメラが発掘されるくらいです。

残念ながら資産価値はほぼないです。カメラはオフハウスで200円の買取と言われましたw。

祖父母は、一回も引っ越しを経験していない旧家の人というわけではなく、何度も何度も引っ越しを経験してこの物量なので、本当に物を捨てられないんだと思います。

うちの母親と母親の兄である叔父の2人で数カ月かかって死後整理をしたらしいです。

じーちゃんにはかけがえのないものも、他人からすればガラクタ。

家具はお金を払って引き取ってもらい、売れるものは二束三文で売り、残りはゴミです。

思い出の品はもちろんとっておきますが、とてもじゃないけど全部取っておけるスペースなんかありません。

なので、死んだ後遺品はどうなるかというと、殆どが処分または破棄されることになります。

生前整理をするということ

じーちゃんが亡くなって未亡人となったばーちゃんですが、現在3世帯同居として同じ家に住んでいます。

マンションを引き払って今の家に一緒に住むまでも涙なしには語れぬドラマがいくつもありました。

物を捨てなければ新しい家に引っ越せない。なんせ2LDKから一部屋のスペースに引っ越すので仕舞う場所がないのです。

捨てられないばーちゃん、捨てさせなければいけない私の母親、ダンシャリアンの私。

数カ月に渡って攻防戦が繰り広げられ、途中ばーちゃんが拗ねて引っ越さないとかいい出したりもしました。

いやいや、ばーちゃん、あなた要介護だから一人暮らしもう出来ないでしょう。だから三世帯住居建てるんだよ。

お年寄りに強制的に物を捨てさせるとトラウマになったりボケたりしてしまう可能性もあるためこちらも慎重にゆっくりと付き合いました。

母親は何回か爆発していましたが、それでもなんとか物を10分の1くらいにして引っ越すことが出来ました。

当時はブログを書いてなかったから写真が一枚もないのが残念。

身体は一個しかないのに、ズボン50着くらい出てきました。バスタオルも40枚位あったし、最高に古い食材の賞味期限は1996年でした

鋼の胃腸を持つ兄が下痢するくらい古い食材を有する魔窟の冷蔵庫でした。

物を持つということ

長々とヨネキチ家のジジババストーリを書いてしまいましたが、祖父母をみて物を持つという事と、生きるという事を考えさせられました。

共通の趣味である買い物をしている時の2人はスゴく楽しそうでした。

コートを買ってというばーちゃんに、いいよというじーちゃん。

近所の整骨院から何十万もする健康器具を衝動買いするじーちゃんをおこらないばーちゃん。

決してお金持ちではありませんでした。

公務員で安定はしていたけど高給取りではなかったため、結構毎月自転車操業だったと思います。

お金は遺すよりも使ったほうがいいとは思います。でも問題は、後何年生きるかわからないということ。

今ばーちゃんは87歳。体が弱って一人暮らしができなくなったため私達と同居しています。

いままで何十万、何百万とかけて買い集めた宝石や、コートや、化粧品や、その他もろもろは、少しを除いて大半が捨て値で処分されました。

そしてお金が無い事への不安を口にします。

まとめ

買い物をするのが悪いことだとは思わないし、買い物をしなければ経済が回らないので、お金がある人はどんどんするべきだとは思います。

ただ、必要以上に持っているのに買ってしまう。持っているのを忘れて買ってしまう。そして使い切れなくて処分してしまう。

戦争の時代を生きた世代だからこそ物を大事にしそうなものですが、逆に反動で物に対する執着が強かったのでしょうか。

世代というよりは個人差ですかね。

人生の終点駅に近づきつつある祖母を見ながら、私にとって「物」とは何を意味するのか、そして何に対してお金を使いたいかを考える必要があると思いました。

何より残される人が苦労しないように身軽に生きていきたいなと思います。

今日の独り言: 娘とばーちゃんが遊んでいる姿はとても微笑ましいです。ばーちゃん長生きしてね。でもボケないでね。